Googleマップの3D表示から、過去のしょうもない事を思い出す。日本にいないし、身持ち固まった奴がもう行くところではないので、だからこそ無性にもう一度行ってみたくなるのだ。

最近Googleマップの3D表示にすごくハマっている。結構な広範囲が3D表示されていて、ミラノどころか今のモンツァの家の屋上までも丸見えだし、実家の庭の広さも見られる上、昔勤めていた会社の埼玉の工場も見られる。Google先生のお膝元アメリカなんか、昔住んでいたど田舎のアンドーバーまで見られるわけだ。いやいや、すごい世の中になったもんだ。

実家の近く、どこまで表示されるのかな、と思って見てみたら、少し先の多治見の中心部手前まで表示された。愛知県との県境から少し行ったところ。そんでほんと最低な話なんだが、そういえば内津をはじめとしたあの辺りは昔やんちゃに散策したところなので、まぁ少し懐かしくなって調べてみたら、ある場所はまだまだ残っているようだし、でもある場所は廃業しているのもあるようだった。

でも、名前なんか当然覚えちゃいない。一つだけ思い出が深いものがあって、ひよこだったか、たまごだったか、色々検索掛けてみたのに見つからなくて、若干諦めかけていた頃にようやく見つかったその思い出。ポッポ多治見、という場所。本当にちょうどそのあたりまでギリギリ3D表示されてた。でも残念ながら3Dでは建物は残っちゃいなかったけれど、ストリートビューだとまだ残っていて、跡形もない3Dをどんどん拡大するといきなり建物が出てくる。ちょっと面白い。

回転ベッドがある、妙に昭和ちっくな不思議な場所だった、それだけで妙に記憶に残ってる。楽しかったはずなのにあんまりそれ自体は覚えちゃいない。その場所に行った人と、もう一つのところ(しっかり現存)では結構覚えているのに。

そこは中に駐車するタイプで入っていったのは覚えているが、どんな入り口だったのか覚えていない。とにかくあそこには回転ベッドがあった。最初ははしゃいでいたその人だったのに、いざ回転しながらでいると酔うって言って切られたのも覚えている。僕は下を向いていたから分からなかったんだろう。あの日はGW、彼女の誕生日だったかその次の日だったか。僕が当時別の人と会えないでいるその不満やしたい事をまさにぶつけたのに、色んな事全て聞いてくれたのも覚えている。その後発生する禅問答だって覚えている。

あの日まさにその人を失ったと思う。距離感を適度に保っておけば良かったのだ。「人」という文字が短い画と長い画でお互い寄り掛かるように、あんなに人間的に頼り交わした関係が、そんな事だけで無くなってしまったのだ。10年近く経った後でも似たような事をしているし、僕は本当に進歩がない。

一度だけ、その数年後に偶然再会したその人は相変わらず凛としていた。本当はもっと長々と話したかった。メールアドレスでも聞いて、連絡を取り合いたかった。でも本当に偶然だったので、ほんのちょっとの会話しか出来ず、人生の数あるシーンの中でも、後悔しているシーンの一つだと思う。

閑話休題、しかし何であの辺りはああいうのが多いのだろう。あんな山の中に、車を走らせると唐突に出てくる。森林浴デートの帰りに入っていくのだろうか。そして何で僕もそういう場所に行ったのだろう。確かにあの当時はその人とそういうのを探す遊びをしていたと思う。そしてその当時も同じ事を考えていたと思う。

感傷深くなった割に、ついでにもう一つ、これまた別なんだがこの辺りの山の中の川沿いで、部屋の窓を開けると下に川が流れていたところがあったんだが、これは場所がとんと思い出せない。瀬戸辺りなんだろうけど、瀬戸も東に行くと3Dじゃなくて、やっぱり分からなくなって、もどかしさとほんの少しの悲しさ。もう行けないって思うと、無性に行きたくなる、何で過去にもっと堪能しなかったんだって思う。それはどんな場所にでも。