我々の夫婦喧嘩にピリオドが打てるわけじゃないのは分かってる。分かってほしい事を分かってくれない。それがケンカや争いの発端になるわけだけど、でも大事なのはお互いがお互いそう思ってるという事を念頭に置く事だ。だから譲歩しようかな、と思う事が多いけれど、でもそう簡単じゃないのが僕らの悲しいところ。

たった今夫婦喧嘩をした。我々のケンカは大体が軽いやつで、お互いにちょっとツンとした状態から大概が僕から「謝ってやってもいい」みたいなニュアンスで妥協してやって仲直りするので、九割九分僕が折れる。っていうか僕は短気な分、しばらくすると冷めてきて、何でこんなくだらない事で争ってるんやろう、笑ってる方が楽しいのに、と考え始めるので、上手く場を和ませるように譲歩してあげる。我ながら上手いと思うのだが、勝手に短気起こしてもいるので、それくらいしないと申し訳ない気もする。

僕と違って逆に、妻は本当に頑固で、今まで一度たりとも自発的に謝ってきたことがない。なので僕が折れないと何一つ良い方に進展しない。なので重いやつというのは、僕が心底許せないことでお互いがっぷり四つで組み合った時だ。こんな時、最終的に僕は怒鳴ってガッツリ妻を泣かせる。っていうかシカトしていると勝手に泣いて入ってくる、あの人泣き虫だから。

今回のはわざわざ書くくらい当然重いやつ。きっかけは出産予定日2週間前なのに遊びに行こうとした事で、後々考えても僕が確かに悪いのだが、妻の言い方は相手を思いやった言い方をしない事がたまにあり、彼女の返事に僕がカチンときて、ずっと腹の中で燻っていた物を引き合いに出して怒ってしまった。僕は短気ですぐ収まれど、結局解決しなかった事はすごく腹の中で燻っているのだ。

その燻っているものは友人との付き合い方。僕の友人夫婦が、スイス国境辺りから散髪でウチの近くに来る時に、僕にお茶しないか声を掛けてくれるのだが、初めてご飯を一緒にした時に妻が一方的に奥さんの方の友人を嫌いになったようで、それからいくらお願いしても会おうともしてくれない。分からない、妻はどうやら嫌なことをされたというが、その奥さんはそんな嫌味を言う人でもないし、僕は本当に付き合い易い方だと思って付き合っている。それにその奥さんだけと会うわけじゃない、笑顔が素敵な旦那さんも一緒。しかもベビー用品を譲ってくれて、わざわざウチまで持ってきてくれて。なので礼儀として僕はこちらも夫婦で会うべきだと思い、何度もお願いしたのだが、頑と会わない、の一点張り。その時、かなり険悪なムードになったのだ。

その時は僕も上手い言い訳をして、僕一人で会ったのだが、なにぶん僕はその友人夫婦にとって仲人みたいな奴で、これからも、イタリアにいる限りずっと付き合いをして行くのだ。また、向こうには2歳の息子さんがいて、ちょうどイタリアでの子育てが色々聞けるので、付き合いを失くすのはできない。だからといって、毎回嘘を塗りたくった言い訳は言いたくないし、またそれで無駄に心配されたくない。

やはりこういうところは考え方や感覚の相違なんだと思う。諦めているとか、腹を立てているとかではなくて、どうにもお互いのこうあるべき、という常識、捉え方が違うんだろう。僕は嫌いな人とでも礼儀としての付き合いは全然できるタイプで、寧ろ夫としては妻の友人と上手くやる事を考えて、何言われても平気でいられると思う。鈍感だし。それに、結構形式を重要視するところも幾分かある。

妻はそういうところが真逆なのだろう。彼女は集団行動が好きじゃないタイプで、自分の好きな人としか付き合いたくないし、礼儀なんて関係ない。形式ばる必要もない。こう書くと、僕がいい風に思えるかもしれないけれど、それは僕がこの文章を書いてるからで、彼女が同じような文章を書くのなら、きっと僕は好意的に書かれないだろう。結局捉え方次第なのだ。

だからといって、我々の夫婦喧嘩にピリオドが打てるわけじゃないのは分かってる。分かってほしい事を分かってくれない。それがケンカや争いの発端になるわけだけど、でも大事なのはお互いがお互いそう思ってるという事を念頭に置く事だ。だから譲歩しようかな、と思う事が多いけれど、でもそう簡単じゃないのが僕らの悲しいところ。

でも僕が譲歩しない事が少ないって分かってるんだから、ここは本当に我慢して、譲歩してくれないかな、って真剣に思う。