しげる、お前ほんと何であの時あんな投稿しやがったんだ、お前にそんな事思わせたやつ本当に一体誰なんだ、ぶっ飛ばしてやりたい

忘れないための雑記

2週間、日本と香港を回る。

最初の到着は月曜日、偉大なる先輩と音楽談義を池袋で。場所とかはほんと直前に決めて、ちょうど西武池袋線沿いの外出先だったから、と優しい言葉をもらった上に、サンシャインまで来てもらえませんか、と生意気な事をヌカす。サンシャインシティの3階、寿司屋に結局行く我々、実は寿司屋率がかなり高め。

その後は高校時代の友人と。彼の家に泊めてもらった。彼は僕の初めての人で、高校2年の時だった。しょっちゅう彼の家に行って、二人でただひたすら遊んでた。すごい事も見せてもらった。こんな風に書くとまるでやらしい事だが、いやはや、初めて自作曲を発表した文化祭に彼と二人で出たというだけ。すごい事とは、ちびファイアーマリオというヤツで、いとも簡単にそんな状態にしてくれる彼が、僕は本当に好きだった。

彼とは、その後僕が地元の大学へ、彼は東京の専門学校へ行った後も仲良くしていたし、それは未来でも願っていた。大学2年の時に初めて東京に行った時も、駒場東大前の彼の下宿先にお邪魔した事もある。

でも非常に残念なことに、いつだったか、大学時代の後半頃、これは僕に対しての愚痴なのか、と思う投稿をmixiで見つけてしまって、それ以来彼から連絡は来ないし、僕から連絡もできないし、とずっと疎遠になってしまった。

しばらくして後、親友に、なんか昔俺あいつに嫌われたかも、という話をしたら、俺もそう思ったけどどうやら違うらしいよ、と親友から教えてもらった。その時連絡していれば、と今更ながらに思う。今でこそ、厚顔無恥なやつの方が世の中を上手く渡れると知っているのだが、当時の僕はそんな事も思わず、やっぱり彼に嫌われているかもと思い、連絡を取らなかったのだった。

その失われた時は、本当に非常に残念な事で、僕はその後就職で東京に数年居つくことになるし、彼が近くにいたら、もっと色んな遊びができたのに。幸い親友の結婚式で10年ぶりくらいに再会することができて、それで久々に連絡を取ることができた。

泊まった時、時差ボケで眠かったのだが、話が尽きなくて、というより僕が知らない話(インディーズゲームとか)を散々されても親切な彼のコメント付きで楽しく過ごせたし、共通の話題になってもあまりに止まらないから、わざわざ話を切ってまで眠らせてもらった。

本当ならもっと長い時間滞在したかったし、また来週にでも行きたい気分になった。しかし、自分はもう独身ではない上に、東京住まいでもない、あまつさえ日本にすら住んでおらず、妻も自分も東京から離れた場所の出身地なのだ。それに東京で他に会いたい人なんてもっと沢山いる。

月日は残酷だ。会いたい人と、会いたいタイミングで会えない事もあるのだ。それは人生をある程度まで進めば分かるのだが、実は取り返しのつかないことになる事もあるのだ。そりゃ、今からだって遅くない、と思うのだが、今の自分は残念ながら彼を上位に入れられないのだ。なんせ妻や子ども、実の家族、義理の家族もいて、仕事の付き合い、趣味の付き合い、地元の親友、これら全てに僕は時間を優先的に割くわけで、彼がいくら最高の野郎でも、地元の親友枠に入ろうとも、もはや大きく時間を割けない。そんな悲しい事実が人生なのだ。

 

それ以降はまた明日書こうと思う。