Macの死ねばいいところ

Macの死ねばいいところはいくつかあって、まず真っ先に挙げたいのは、iPadやらiPhoneやら同期する時、たまに珍しい事をしようとすると上手く行かず、下手すると必要なデータまで消してしまう事だ。

今まさしくそれで、ついこないだまでiBooksに手動で入れていたのに何故か入れられない。あれ、何で、とあれこれいじくりまわしていると、どうやらMac内のファイルと同期するしかなさそうだ。しゃーない。別に本は買ってるか、あってもデータ保存してあるかなので、よし同期しよう。同期すると他の〜で管理していたものが全て消えますが。あぁ、いいよ、別に本はいい。同期がういんういんと動くわけだ。

同期しましたー。あれ、なんか容量めっちゃ空いたな、何でだろ。もしかして。ん、手動で管理してた音楽どこ行った。手動のチェックマーク外しておきましたー。ん、どういう意味?今までiPadに入ってた音楽、全部消しときましたー ←イマココ

ほんまぶっ殺してやりたい。Macという、ある意味紆余曲折を経てしょうがないから使っているけれど、ほんと何で俺これ使ってしまった、使ってしまっている、という後悔はすごく多い。

確かに、iMacとかiPhoneとか、ハード的には魅力的ではあるんだけれど、マジでOSがカスタマイズを考えてもいないものは、本当に融通が利かない。融通が利かないならまだしも、どうでもいい機能をつけすぎ。

あと心底殺したい点はもう一つあって、App Storeとか、言語をOSで使用してる言語か、さもなくば選ばせろよ。日本のクレジットカードがないんですよ、あっし。ないんじゃなくて、ちょっと面倒な事になってて手元にない。なので、なんか無料のアプリをダウンロードしようとしても、有効期限が切れたカードを更新しろって出てくるわけ。イタリアのカード入力するとさ、使えねぇって出てくるのよ、通貨が違うから。もしくはイタリア版のApp Storeに変更しろと。うるせーよ、別に無料のアプリをダウンロードするんだからいいからダウンロードさせろよって思っても、入れないと無料のアプリすらダウンロードさせてくれねーんだよ。しかも以前はそうじゃなかったのに。たまたまどうしても必要な新しいアプリがあったから、根負けしてイタリア版にしたら、あら素敵、App Storeはほら、全てイタリア語にしておきましたーって。お前、

あれだ、高校生の時たまたま拳が半魚人みたいな同級生に当たって、何故か怒られ、おい、殴らせろよと言われ、しょうがないから殴らせてあげた事を思い出したけれど、あれと同じ、頼む、Mac、殴らせてくれ。