フランスのテロを思う。

こんなところで愚痴を書く人間が、何を言うかという話ですが、フランスの風刺雑誌へのテロ事件について、私は暴力に関しては否定的ですが、イスラム教徒の怒りは非常に適当であり、そうなってしまったのは仕方がないと思います。

表現の自由という言葉は、モラルがあって初めて唱えられるものであり、イスラム教の中で厳禁としているムハンマドの肖像を使ってイスラム教をバカにしているのは、全く以ってモラルがあるとは言えない。かの風刺雑誌が、キリスト教徒やユダヤ教徒も同様に皮肉っているよ、としていても、あの国はカトリックが主たるフランス。アラブ諸国の中でイエスをバカにされたり、韓国で日王などとバカにされたりするようなものでしょう。相手の立場を知り、お互いを思いやってこそ、初めて表現の自由が有効になり、皮肉を書く事ができるのではないか。

今回の事件に対して、表現の自由、という言葉を盾にするのであれば、それは言葉の暴力を振りかざすことと一緒であり、今回のテロを起こしたアホなイスラム原理主義者共と全く何も変わらない。寧ろ、言葉の正義を気取って振りかざすことの方が余程タチが悪い。僕はフランス政府は謝罪すべきだと思うのです。


また、だからこそこんな事件を起こしたイスラム原理主義者共は阿呆なのです。白痴です。自分の神の名の下に天誅を下した英雄気取りだと思いますが、個々の心に刻むべき宗教を使った自分のオナニーを他人に見せてるだけの行為だという事に、何故気付かないのか。絶頂射精して逝って、さぞかし地獄でその公開オナニーを楽しんでいることでしょう。

世界を平和にするために。国連事務総長だってオバマだってプーチンだって、ビートルズだって、一人じゃ出来ない。我々一人一人が出来る事は、相手の立場を思いやる事だと思う。簡単なようで難しい。それでも、少しでも僕らはそうあるべき、と動かないといけない。