やっぱり寝た

家族持ちとは難儀である。子どもは四六時中かまって欲しがるし、妻だって話をしたがる。勿論それは嬉しいことなのだが、やりたい事が沢山ある現状では悩ましくもある。しかし家族ほどの癒やされるものはない。家族ほどの活力漲るものはない。有り難い2匹に囲まれていると考えていよう。

眠かってん

眠かったのですぐに寝てしまった。前日までついつい遅くまで起きてしまって昼間から眠気があった。体調管理は一番大事だと身にしみる。

昨日は妻とベッドを交換した。僕のいびきがうるさすぎてここ半年ほど別で寝ている。個人的にはシングルベッドに一人で眠るのは好きなのだが、やっぱり広々としたダブルベッドで子どもと一緒とはいえ眠るのは気持ちいい。寝相を殆どかかない僕だけど、やっぱり余裕は大事なのだ。

日記というのは続かない

ほんとシャイボーイに影響を受けて、最近今の自分に出来る範囲で始めようとアーティスト活動を始めましたが、シャイボーイはすごいなぁと思う。

たとえば日記とか。ここ最近は、女性不信になったせいかあまり書いていないけれど、活動初期からある程度ワンマンツアーが組めるように成長するまでほぼ毎日書いていた。しかも手書きのものをスキャンして。すごい。

昔、僕が新入社員だった頃に出会った強烈な派遣社員のおばちゃんがいた(独身の方なのでおばちゃんは失礼か)。彼女は、当時流行っていたようなハケンの品格みたいな一応手に職を持つ系の派遣社員で、一度は会社を興そうかと考えたそう。ただ、ある経営者の友人に、あなたはティッシュを毎日剥がして、薄いその紙1枚一枚を載せられますか、と聞かれ、あ、あたしには無理だと悟ったと語っていた。その話が今でも忘れられない。自分は成功する側の人間ではないのかと悟った話だ。

でも気付いたのが、やりたいことをやらない理由にはならないのだ。かっこ悪くてもいいから今一度再生したい。

僕は仕事ができない

なんか仕事終わんない。焦らないといけないのにのんびりしてしまっている自分がいて、それが尚更困る。僕は仕事ができない。在宅なんだから、溜まっている仕事さえ片してしまえばあとはゆっくり出来るのに、何でだろう。そうだ、僕は夏休みの宿題を最後の日どころか9月入ってからやり始める阿呆だった。四半世紀近く経っても性格は全然治らない。

いや、ほんと2歳児いる家庭で在宅仕事をしてしまうと数日かけるような仕事は集中できない。他人から電話がくるか、息子が遊ぼうと無情にやってくれるか、どちらかで大体僕の集中は邪魔される。邪険に扱ってしまう事も多い。

しかし子どもというのは天使であり、悪魔でもある。寝顔や真似する行動などは可愛さ満点でキューンとなるのだが、ふと目を外すと大変な事をしてくれる。そしてこちらが集中して物事に取り組んでいる時に限って、ドアをバーンと開けて、僕の膝の上によじ登って、キーボードを叩いたり、メモ用紙に落書きをしようとする。マウスも弄ろうとする。特に大丈夫かなと思って少し触らせると思いもしない事をしでかしてくれる。勝手に動いて、勝手に転んだり落ちたりして泣き始める。なんと悪魔の所業か。今日、ふと桃鉄のボンビーみたいなヤツだな、と思い始めた、それくらい似てる。

でも今では子どもがいない人生は考えられない。妻といない人生が想像できないのと同じ。妻と出逢うべくして出逢った気分になるように、彼は生まれるべくして生まれたのかと思う。僕は運命論者ではなかったけれど、そう錯覚せざるを得ないくらい、彼が僕の人生の中にいる自然さがある。多趣味な僕はしょっちゅう独り身だった時を懐かしがるけれど、それでも僕は本当に独り身だった時期があったのか忘れてしまいそうになるほど、家族生活が充実している。今のところは、だろうが、それでも幸せな人生だ、今のところは。

 

ちなみにウチの子、生まれた時からデカかったせいか、眠りが浅かった事が生まれて此の方殆どなく、そういった意味ではやりやすい。逆にやりにくいのは、あまりに寝つきが良くない上に遊びたがりなので、以前昼寝や夜寝をさせようとする度に毎回1時間かかった。朝8時くらいに起きて、保育園に通っていた時は14時頃、コロナで自宅に閉じ籠り始めた時は17時頃に昼寝を取り、そのまま22時、23時まで寝ない事はざらだった。そして23時に寝たとしても、中々寝付いてくれなかった。

でも最近、昼寝を諦めたら全てがすごく上手くいっている。8時に起きて、21時までにはベッドに入る。長くて30分くらいはウダウダするが、結構すんなり寝付いてくれる。その後は、6時とかちょっと朝早くに起きたりもするが、彼はこの生活があっているのだろう。

在宅が3ヶ月近く経ち、イタリアもようやく自粛生活も段々と緩和されてきているが、この3ヶ月殆ど家庭内の日本語だけだった(+その前に母が1ヶ月ちょいいたのもあった)お陰で、彼は我々が話す言葉の母音、子音に近い音をたくさん出すようになった。まだ意味を完全に理解しているのか不明だが、1と2は数え始め、3、4は飛ばして次は5を言えるようになったり、最近はりんごやバナナといった単語も、不明瞭ながら真似するようになった。アルファベットも熱心に読もうとして、実際読めていると思しき文字も出てきた。ひらがなのカルタも大好きで、少しずつひらがなも覚えている。

そんな彼を間近で見ていて、大人と子どもの違いがあれど、凄いとただただ感心する。彼らは確かにスポンジだが、台本を一発で覚えるような天才役者とかではなく、ひたすら繰り返しているのだ。愚直と言ってもいいくらい。すごい。今の自分には出来ないと思ってしまって、その度に、いやいやこれこそが学習プロセスで大事なことなのだから自分も見習うべきだ、と思い直す事にしている。

思いついた事を書き連ねているが、他に常に考えている事は、ついつい怒ってしまう事、怒鳴ってしまう事。いけないこと、やって欲しくないことは、ちゃんと目を見て説明するようにしている。だが、ひょっとした咄嗟に怒ってしまい、何でなのかキョトンとされる事が稀にあり、自分は果たして怒りをぶつけているだけなのかもしれない、とよく考えさせられる。彼は僕のこの理不尽をどう思っているのだろうか、これによってどんな人間になってしまうのか、自分の出来なさをひしひしと感じる。

ちなみに叱られている時は顔を背けようとするし、叱られた後は父のところに寄ってこないし、そういったところを見ていると彼は本当に人間なのだなぁと思う。まだまだ接し方はペットとほぼ似たような感じになってしまうが、唯一はっきり違うと分かるのが、感じ取れて溢れ出てしまう愛情である。歌詞みたいになってしまうが、こんな感情は味わった事がない。朝起きるのが、こっちも眠くて鬱陶しいけど、本当に嬉しい。

最近思うこと

ブログが増えすぎました。

僕、4つもあるんですよ、アホちゃいますかね。

妻も書く日常系のはてな

はてなから飛び出してホームページ風にしているWordPress

上記の元となったレストラン紹介ブログ@はてな

そして昔からの名残のこのブログ

3番目はついでだから良いとして、そろそろこの過去ブログを上手く2番目に統合出来たらと思っています。

本当は3つのブログを2番目で全て表示できたら良いんですが、はてな自体は無料のものを使っているのでそんな工事がはたして出来るのか。

 

やりたいことは沢山あります。のんびりやっていくかなぁ。

Macの死ねばいいところ

Macの死ねばいいところはいくつかあって、まず真っ先に挙げたいのは、iPadやらiPhoneやら同期する時、たまに珍しい事をしようとすると上手く行かず、下手すると必要なデータまで消してしまう事だ。

今まさしくそれで、ついこないだまでiBooksに手動で入れていたのに何故か入れられない。あれ、何で、とあれこれいじくりまわしていると、どうやらMac内のファイルと同期するしかなさそうだ。しゃーない。別に本は買ってるか、あってもデータ保存してあるかなので、よし同期しよう。同期すると他の〜で管理していたものが全て消えますが。あぁ、いいよ、別に本はいい。同期がういんういんと動くわけだ。

同期しましたー。あれ、なんか容量めっちゃ空いたな、何でだろ。もしかして。ん、手動で管理してた音楽どこ行った。手動のチェックマーク外しておきましたー。ん、どういう意味?今までiPadに入ってた音楽、全部消しときましたー ←イマココ

ほんまぶっ殺してやりたい。Macという、ある意味紆余曲折を経てしょうがないから使っているけれど、ほんと何で俺これ使ってしまった、使ってしまっている、という後悔はすごく多い。

確かに、iMacとかiPhoneとか、ハード的には魅力的ではあるんだけれど、マジでOSがカスタマイズを考えてもいないものは、本当に融通が利かない。融通が利かないならまだしも、どうでもいい機能をつけすぎ。

あと心底殺したい点はもう一つあって、App Storeとか、言語をOSで使用してる言語か、さもなくば選ばせろよ。日本のクレジットカードがないんですよ、あっし。ないんじゃなくて、ちょっと面倒な事になってて手元にない。なので、なんか無料のアプリをダウンロードしようとしても、有効期限が切れたカードを更新しろって出てくるわけ。イタリアのカード入力するとさ、使えねぇって出てくるのよ、通貨が違うから。もしくはイタリア版のApp Storeに変更しろと。うるせーよ、別に無料のアプリをダウンロードするんだからいいからダウンロードさせろよって思っても、入れないと無料のアプリすらダウンロードさせてくれねーんだよ。しかも以前はそうじゃなかったのに。たまたまどうしても必要な新しいアプリがあったから、根負けしてイタリア版にしたら、あら素敵、App Storeはほら、全てイタリア語にしておきましたーって。お前、

あれだ、高校生の時たまたま拳が半魚人みたいな同級生に当たって、何故か怒られ、おい、殴らせろよと言われ、しょうがないから殴らせてあげた事を思い出したけれど、あれと同じ、頼む、Mac、殴らせてくれ。

人と暮らすというのは本当に大変な事で、幸せな反面、一度衝突するとすごく辛い。パワーをすごく持って行かれる。
また、お互いのバランスも安定なようで、崩れた時にいかに不安定なやじろべえの上にいたか思い出される。
全ての日が幸せじゃなくたっていいだろうけど、早いところ幸せになるようになりたい。