僕は仕事ができない

なんか仕事終わんない。焦らないといけないのにのんびりしてしまっている自分がいて、それが尚更困る。僕は仕事ができない。在宅なんだから、溜まっている仕事さえ片してしまえばあとはゆっくり出来るのに、何でだろう。そうだ、僕は夏休みの宿題を最後の日どころか9月入ってからやり始める阿呆だった。四半世紀近く経っても性格は全然治らない。

いや、ほんと2歳児いる家庭で在宅仕事をしてしまうと数日かけるような仕事は集中できない。他人から電話がくるか、息子が遊ぼうと無情にやってくれるか、どちらかで大体僕の集中は邪魔される。邪険に扱ってしまう事も多い。

しかし子どもというのは天使であり、悪魔でもある。寝顔や真似する行動などは可愛さ満点でキューンとなるのだが、ふと目を外すと大変な事をしてくれる。そしてこちらが集中して物事に取り組んでいる時に限って、ドアをバーンと開けて、僕の膝の上によじ登って、キーボードを叩いたり、メモ用紙に落書きをしようとする。マウスも弄ろうとする。特に大丈夫かなと思って少し触らせると思いもしない事をしでかしてくれる。勝手に動いて、勝手に転んだり落ちたりして泣き始める。なんと悪魔の所業か。今日、ふと桃鉄のボンビーみたいなヤツだな、と思い始めた、それくらい似てる。

でも今では子どもがいない人生は考えられない。妻といない人生が想像できないのと同じ。妻と出逢うべくして出逢った気分になるように、彼は生まれるべくして生まれたのかと思う。僕は運命論者ではなかったけれど、そう錯覚せざるを得ないくらい、彼が僕の人生の中にいる自然さがある。多趣味な僕はしょっちゅう独り身だった時を懐かしがるけれど、それでも僕は本当に独り身だった時期があったのか忘れてしまいそうになるほど、家族生活が充実している。今のところは、だろうが、それでも幸せな人生だ、今のところは。

 

ちなみにウチの子、生まれた時からデカかったせいか、眠りが浅かった事が生まれて此の方殆どなく、そういった意味ではやりやすい。逆にやりにくいのは、あまりに寝つきが良くない上に遊びたがりなので、以前昼寝や夜寝をさせようとする度に毎回1時間かかった。朝8時くらいに起きて、保育園に通っていた時は14時頃、コロナで自宅に閉じ籠り始めた時は17時頃に昼寝を取り、そのまま22時、23時まで寝ない事はざらだった。そして23時に寝たとしても、中々寝付いてくれなかった。

でも最近、昼寝を諦めたら全てがすごく上手くいっている。8時に起きて、21時までにはベッドに入る。長くて30分くらいはウダウダするが、結構すんなり寝付いてくれる。その後は、6時とかちょっと朝早くに起きたりもするが、彼はこの生活があっているのだろう。

在宅が3ヶ月近く経ち、イタリアもようやく自粛生活も段々と緩和されてきているが、この3ヶ月殆ど家庭内の日本語だけだった(+その前に母が1ヶ月ちょいいたのもあった)お陰で、彼は我々が話す言葉の母音、子音に近い音をたくさん出すようになった。まだ意味を完全に理解しているのか不明だが、1と2は数え始め、3、4は飛ばして次は5を言えるようになったり、最近はりんごやバナナといった単語も、不明瞭ながら真似するようになった。アルファベットも熱心に読もうとして、実際読めていると思しき文字も出てきた。ひらがなのカルタも大好きで、少しずつひらがなも覚えている。

そんな彼を間近で見ていて、大人と子どもの違いがあれど、凄いとただただ感心する。彼らは確かにスポンジだが、台本を一発で覚えるような天才役者とかではなく、ひたすら繰り返しているのだ。愚直と言ってもいいくらい。すごい。今の自分には出来ないと思ってしまって、その度に、いやいやこれこそが学習プロセスで大事なことなのだから自分も見習うべきだ、と思い直す事にしている。

思いついた事を書き連ねているが、他に常に考えている事は、ついつい怒ってしまう事、怒鳴ってしまう事。いけないこと、やって欲しくないことは、ちゃんと目を見て説明するようにしている。だが、ひょっとした咄嗟に怒ってしまい、何でなのかキョトンとされる事が稀にあり、自分は果たして怒りをぶつけているだけなのかもしれない、とよく考えさせられる。彼は僕のこの理不尽をどう思っているのだろうか、これによってどんな人間になってしまうのか、自分の出来なさをひしひしと感じる。

ちなみに叱られている時は顔を背けようとするし、叱られた後は父のところに寄ってこないし、そういったところを見ていると彼は本当に人間なのだなぁと思う。まだまだ接し方はペットとほぼ似たような感じになってしまうが、唯一はっきり違うと分かるのが、感じ取れて溢れ出てしまう愛情である。歌詞みたいになってしまうが、こんな感情は味わった事がない。朝起きるのが、こっちも眠くて鬱陶しいけど、本当に嬉しい。